こんにちは、yumekiです。
書名:もう、怒らない
著者:小池龍之介
本当の集中は「好き」を超えた瞬間に訪れる
で、テニスを考えてみます!
引用P.92
最初は「好きだからやる」という気持ちだったかもしれません。けれども、ひたすら打ち込んでいるうちに、次第に夢中になり、もはや好きとか嫌いとかといった雑念が湧いてくる暇もないくらいに集中する瞬間が訪れることがあります。本当に面白くて集中できているとき、人は「これ面白いんだよね」などとは考えません。
スポーツにせよ仕事にせよ人間関係にせよ、そのような雑念なき「今この瞬間」にこそ、私たちの能力は最大限に発揮されるのです。
また、このように集中しているときは、「スポーツをしているこの私は素敵」「仕事を頑張っているこの私は立派」「人の話を聞いてあげている私は偉い」といった、余計な「私」が存在しません。「私」がいない、すなわち「我」が薄まっていると、自らも解放されてストレスがないだけでなく、傍目にも清々しく映ります。
テニスで考えてみると…
集中、集中、とよく言いますが、集中するってどういうことなんでしょう?
私もよく 集中 という言葉を使っていますが、具体的にどういう状態なのかは説明できません。
ただ、テニスの試合で
「今日は集中できたな〜」
という時がまれにあり、いわゆるゾーンに入った状態ですが、その状態を「集中している」というのだと思います。
実際そのような時は何をどのように考えているのか?
思い出してみると、目の前のテニスの試合のことだけを考えていて、他の余計なことは何も頭にありません。
テニス以外のことはもちろんのこと、コート外での出来事や、相手選手の振舞い、次の試合のこと、天候のこと、などはまったく気にならず、目の前の試合、セット、ゲーム、ポイント、を取ることだけを考えている状態です。
このように言葉にすると、だったらいつも目の前の試合、セット、ゲーム、ポイントのことだけ考えればいいんだと思えるのですが、実際意図的に 集中 した状態に自分を持っていくのって本当に難しいんですよね(^^;)
私は集中、集中言いながら、頭の中は煩悩や邪念だらけということも多いですし(-_-;)
永遠の課題
集中するって永遠の課題のような気がするのですが、上の”本当の集中は「好き」を超えた瞬間に訪れる”の文章から、自分を集中に導ける方法を模索してみると…
“余計な「私」が存在しません。”
私はこの言葉がいいヒントになりそうな気がするのですが!?
皆さんはいかがでしょうか?
お読みいただきありがとうございました。この記事があなたのテニスの気づきやきっかけになったら嬉しいです。