こんにちは、yumekiです。
書名:「好きなこと」だけして生きていく。
著者:心屋仁之助
「好きなこと」に下積みなどいらない
で、テニスを考えてみます!
本文
引用P.71
下積みか下積みでないかは、下積みがその人にとってどんな意味を持つかによって違ってきます。それを下積みと思って楽しめない人は、その先にあることも、それほど好きなことではないのかもしれませんね。
その道のプロになる人は、好きなことを夢中になってやっています。無我夢中で、損得も考えずに、人がどう言おうとおかまいなく、将来のことも考えずに、気がついたら、圧倒的な数の練習を重ねている。
「圧倒的な数の練習」を下積みといいます。
失敗するのが怖い人は、いっぱい練習してもプロになれないのが怖いので、最初から練習しません。
あるいはちょっとだけ練習して、挫折が怖くてやめてしまいます。
そしてこう言います。
「俺も本気になれば甲子園に行けたんだぜ」
「やればできる」という言い訳をお守りにして…
(この文章の前に野球の素振りの話が例えに出ているので”甲子園”という言葉が出ています。)
テニスで考えてみると…
この本では「下積み」という言葉を使っていますが、修行・努力と言葉を置き換えてみます。
実際こんなことはないかと思いますが…
テニスに興味のない人に、
「ボールが2バウンドするまでに絶対にとれ!」
とボールを追いかけさせ、
「スピンがかかるようになるまでサーブを打て!」
とサービス練習をさせたら、それはその人にとって努力・修行になってしまう。
モチベーションが落ちている状態のときに、これと近い気持ちになってしまうのかもしれませんが、私はまだこのように感じたことはありません。
部活などでやっているとそういうこともあるのでしょうか?
テニスにはまっている人なら、よ~く理解できるかと思いますが、夢中になってテニスやっているときって努力しているっていう感覚ではないですよね?
無我夢中でボールを追っているときはもちろんのこと、
「トップスピンサーブが打ちたい!」
と一人でコートを借りてサーブ練習しているときも、
「こうやればいいのかな?」
「ああやればいいのかな?」
と夢中になってやっているとき、努力しているというよりも楽しんでやっていると言った方が正しくないですか?
努力しているという感覚ではないから「圧倒的な数の練習」を重ねることができるし、いろいろなことに気がつけるのかもしれません。
そして、
「無我夢中で、損得も考えずに、人がどう言おうとおかまいなく、将来のことも考えずに」
というのが、“ゾーンに入る”“集中する”ヒントになりそうです。
お読みいただきありがとうございました。この記事があなたのテニスの気づきやきっかけになったら嬉しいです。